2011年8月24日水曜日

アエラの「消された牛乳汚染」チラ読み

アエラの「消された牛乳汚染」記事を、立ち読み。
内容は想像通りで目新しいものでもない。汚染ありの牛乳でもそうでないものと混ぜて検査して「検出なし」としている、というもの。自分はしばらく前から大手製造の「おいしい牛乳」は買わないことにしている。どうせ、汚染牛乳が混ざってるんだろう。ヨーグルトも食べる気がしない。くそ、買うもんか。○治も森○も雪○も、どこも信用ならねぇ。(伏せ字の意味ないね、どうでもいいけど)
・・・いかん、つい口調が荒くなる。

こういうこと書くヒトもいるが。よりによって農水省ですか。
http://twitter.com/#!/hideoharada/status/105612892644196353

ここしばらくの汚染牛肉クローズアップは、乳牛汚染の問題から目をそらすためのプロパガンダだったのかな。食肉用が汚染されてて乳牛は大丈夫、なわけないよね。

2011年8月19日金曜日

クリエイティブであり続けるために

(この記事は2011/04/04に書かれました)

奥山清行という人がいる。時間がないので詳しいことは書かないが、若い頃からアメリカ、イタリア、ドイツなど海外で活躍してきたカーデザイナーで、フェラーリのデザインチームのチーフを努めたこともある。この人の著作「フェラーリと鉄瓶」(PHP文庫)はそんな彼のシンプルな哲学が詰まった本。その中に今俄然注目したい言葉がある。以下、第6章「クリエイティブであり続けるために」より一部抜粋。

飛行機でトラブルが発生すると酸素マスクが下りてきますが、欧米人はまず自分のマスクをつけてから、ほかの人に装着するのを手伝います。自分が気絶してしまったら、助けることさえできないからです。何も考えないでほかの人にマスクを一生懸命つけているうちに、自分は意識をなくしてしまう。これからの国際社会の中で、日本人はそういう目に遭いそうな気がしてなりません。

この文章を書いた時点で、彼は今現在の日本の現状など、予測もしていなかったはず。
しかしまさにいま日本では、この忠告(?)通りの事態が起きているとも言える。

過剰な自粛などしても誰も救えないし、自分自身の足下が揺らいでいたら人に手を差し伸べることもできない。今の日本で、被災地以外に身を置く人間がやるべきこと。それは上記の言葉がそのまま当てはまる。

私たちは今これから、どんな日本をつくっていけるだろうか。「何も考えないでほかの人にマスクを一生懸命つけているうちに、自分は意識をなくす」ことなく、別の未来をつくりだせるか。

ともあれ、「フェラーリと鉄瓶」はすごく面白くてかっこいい本です。読むと元気が出ると思うので、読んでみてください。

2011年8月14日日曜日

風評被害の意味について今一度確認する

(この記事は2011/05/03に書かれました)

福島第一原発の事故による放射性物質漏れにともない、当然のことながら大気や土壌、海水で基準値以上の放射性物質が検出されるようになった。それにともない、「風評被害が拡大するおそれがある」「風評被害につながる」といった言葉がメディアにしつこく登場するようになった。個人的に、マスコミや世の中におけるそのような動きには違和感を覚えている。以下は、私の個人的「風評被害」定義である。

知っている人、覚えている人がどれだけいるか知らないが、十数年前、O157(オー157)という病原性大腸菌が猛威をふるった時期があった。この時、カイワレ大根が怪しいと噂が流れたが、実際には事実無根のデマであった。つまり、カイワレ大根からO157菌が検出されたという事実はなかったのだ。しかしカイワレ大根農家の方々はいわれのないデマのために多大な被害を被った。おそらく、経済的にも精神的にも。これが「風評被害」である。

そして今回の、原発事故による放射性物質汚染問題は。
福島県や関東のいくつかの地域の農産物から、放射性物質が検出されたという、「事実」がある。たとえその量が、「食べたとしても健康にただちに影響はない」レベルだったとしても、本来なら付着しているはずのないもの、付着しているべきでないものが、付着しているのである。であれば、出荷規制は当然のこと。何故なら、これはデマではなく事実なのだから。つまり、風評ではなく実害なのである。よって、周辺の生産者は風評の被害者ではなく実害の被害者である。政府は「風評被害」という言葉を国民にすり込むことにより、それがもともとは「実害」であるという事実をすり替えようとしているのではないか。

ちなみに、その周辺で採れた野菜についても「汚染の恐れがある」という疑いがあるのなら、規制の対象にするべきである、と自分は考える。何故なら、その「疑い」は根拠のないものではなく、事実に基づいたものだから。放射能物質が検出されていない生産物について「福島県産だから」という理由で敬遠されるとしたら、それは風評といえるかもしれない。しかし今この現状でその風評を払拭するためには、生産者や販売業者は「安心である」という具体的な根拠を示す必要がある。

嫌みな優等生的な発言かもしれないが、正確で適正なモニタリングとオープンな情報開示こそが、被災地の農業と生産者を本当の意味で守ることになる。「風評被害に苦しむ農家」の姿を情緒的に伝える報道に流されず、本質的に大切なことを見極めなければいけない。場当たり的な同情心で商品を購入しても、意味がない。

我々が安全であるという根拠が示されていない商品を選択しなかったらからといって、「風評加害者」になるわけではない。消費者が正確な情報を得た上で納得できる商品を選ぶことこそ健全な消費活動であり、もともとあるべき姿である。そのことは「風評被害を広げる」こととイコールではないはずだ。

あえてリアリストであれ

(この記事は2011/05/21に書かれました)

自分は、リアリストである。事実(と確認されていること)と、正確なデータだけを信じる。


そんな自分なので、汚染されているのかいないのか具体的な根拠も示さずに「被災地の農家を応援しよう」などという情緒的なキャンペーンが展開され、学校給食や企業の社食で被災地の食材が使用されていることを非常に不愉快に感じている。学校給食においては不愉快を通り越して怒り心頭である。大人は食べるものを自分で選べるが、子供は選べない。

私は非情なことを書いているかもしれないが、生きて行くのに必要なのは同情より「命」だ。生産者の生活を守れれば消費者の健康が損なわれてもいいというロジックが、どうして成り立つのか。まやかしの思いやりでいいことをした気分になっている人は、倫理という言葉の意味を分かっていないだろう。放射能汚染を、別の有毒な化学物質や添加物に置き換えてみればすぐに分かることだ。例えば、ある化学工場で爆発がおき、周辺に有毒な物質が飛び散った。畑で栽培された野菜にもそれが付着したが、国内の基準値内ということで出荷制限がかからなかったとする。その野菜を「基準内だから安全です」と言って売ることが、倫理上許されるだろうか。そのような食品を、消費者が喜んで買うだろうか。答えは明らかだと思うが。

添加物や農薬では許されないことが、放射能汚染では許されているのは何故か。この国では今、異常なことが起きていると思われてならない。

倒壊しかけた家屋の旅館に宿泊したがる観光客はいない。
旅館は建物を安全に修復してから客を宿泊させるのが筋だ。
・・・話が微妙にズレてきた気もするが、食材やそれを育てる大地にしても同じことだ。

食品の放射能汚染や風評被害についての自分の考え方は、中部大学・武田邦彦氏の意見に一致している。過去にも何度か引用しているが、改めてあげておく。

科学者の日記110520  哀しい茶葉の検査拒否
(略)
次に広がったのが、汚染された野菜を「地産地消」という名目のもとで、これもやはり関東や福島の子供たちに食べさせようとしたことです。特に、汚染された野菜を給食に使ったり、スーパーが地産地消の野菜しか仕入れないというようなことも行われました。これも東電の責任を「被爆という形で何も責任がない人たちに押しつける」という生産者の非常に自分勝手な判断のように思いました。

(略)
お茶が売れなくなったら困る、放射性物質が検出されたらお茶が売れなくなるというような考えだけで、お茶を生産されたらわたくしはそんな食材は買いません。その放射性物質の量がどのくらいということには関係ありません。人間は「信頼性、誠実さ」です。だから、飲む人の心が判らないで生産する人の食材は口に入れたくないのです.

科学者の日記110512(2) 明るい未来は自分で作る
日本人なら、あるいは福島の人が可哀想だからということで、福島の農産物を買うかも知れません.でも、外国人はそんなことは考えずに「何ベクレルですか」と聞くだけです.そんなときに数値を示さずに「安全です」などと言っても、信じてもらえないのは当然です.逆に「土地が汚染されているのに、なぜ野菜だけ綺麗なのですか」と聞かれて困るだけです.

(略)
福島の人を助けること、
それは汚染された野菜を食べることではなく、
批判したり受け入れなかったりすることでもなく、
福島を綺麗にするのに力を貸すことだ、
それなら、日本人は全力を尽くすだろう.
でも、その福島がSPEEDIのデータを隠し、
野菜のベクレル表示をせず、
ウシや瓦礫を日本中に拡散することを続ければ、
あるいは日本人でも愛想を尽かすかも知れない、

私は日本人だが、やはり「何ベクレルですか」と聞くだろう。根拠も示さずに「安全です」と連呼されても、信頼しないのは当然である。それを「風評被害」と呼ぶのは論理のすり替えに他ならない。

自分は、現在まやかしの被災地応援キャンペーンを生み出している原因は、多くの日本人が政府や大企業のプロパガンダに思考停止状態のまま流され、かつ合理主義性に欠けているせいだと考える。だから、作家・丸山健二氏の「日本人は精神主義で、現実を直視できない。情緒に流されず、合理的に物を見るようにならなければ、何度でも同じ悲劇を繰り返すだろう」という言葉に強く共感するのである。

節電プロパガンダが意図するもの

 (この記事は2011/04/27に書かれました)

節電、節電とこれだけ言われ続けたら、いい加減イヤにならないか。イヤになる自分はいけない(被災地の人はもっと苦しんでいるのに)、とうなだれる必要はない。そもそも使いすぎなど、はなからしていない。寒かったら暖房をつけるのは当たり前だ。部屋があったまったら、消している。それで何か問題が?

福島原発の事故によってどれだけ電力が不足しているのか、そもそも本当にあの事故のために不足しているのは本当なのか、真実は闇の中である。日本人は素直すぎるから、「原発で事故がおきた→電力が不足している→節電しないといけない」と、例によって思考停止状態のまま流される。

丁度今から2年前の、豚インフルエンザのときだってそうだった。
覚えている人がどれだけいるか分からないが、あの時期、ちょっと咳でもしようものなら
周りからドン引きされる勢いだった。(ただの風邪だったのだが、、、しょうがないので、
いちいちトイレに行って鼻をかんでいた)。あんなのは異常である。もし成田空港でクシャミでもしたら、速攻で拉致されていただろう。いや、マジで。

自分は、あの頃の豚インフル過剰反応は、リーマンショック後の最悪ともいえる経済不況から国民の目からそらすために日本政府が仕掛けたプロパガンダによるものであったと確信している。そして今思う。今回の節電プロパガンダの目的は、何であろうかと。例えば穿った見方をすれば、「原発の稼働が一ヶ所で止まっただけで、あなた達はこんなに
電力不足に苦しむんですよ、こんなに節電しないといけないんですよ」とすり込ませようと
しているともとれるが・・・


話が長くなるので詳細は省いておくが、自分は常日頃から「環境問題は環境問題ではなく、
政治と経済の問題である」という考えを持っている。例えば地球温暖化問題は、国際政治・経済の場において重要な駆け引きの道具のひとつにすぎない、という認識である。世界各国の要人達は、別に地球を守るために会議をしている訳ではないのである。

そして話は小さくなるが、今回の節電キャンペーン。今電機店に行けば、様々な「節電商品」と銘打ったPOPが目に飛び込んでくるだろう。少し前までは「エコ家電」だったはず。このように、政治におけるプロパガンダはさりげなく国民の日常生活に染み渡り、それが意図するものが何であるか、など考えさせようともしない。

常識の範囲内で節電することは結構だが、銀座の街から明かりが消えて真っ暗になり夜だれも歩く人がいない、という状況は異常だったと思うし、そんな状況をこのままずっと続けていいわけがない。こういうことを書くと「被災地で大変な思いをしている人のことを思え」などという声が聞こえてきそうだが、今回被災者とならなかった人間が普通に生活することは、大切なことである。


一歩引いて、この大節電キャンペーンの意図を、想像してみよう。
日本国民が節電に走ることによって、誰が特をするのか、考えてみよう。節電キャンペーンの一方で、日本政府及び東電はロシアの液化天然ガス(LNG)利用による電力確保に着々と動いている。しばらくして電力の安定供給が見込めるようになった後、節電プロパガンダはどうなるだろうか。キャンペーンが終了したら、日本国民は「節電、節電」とさんざん騒いでいたのを、またきれいさっぱり忘れるのだろうか。

追記(2011/05/07)
2003年の夏、東京電力の原発が全て停止されたにも関らず、停電は起きなかったという事実があった!(言われてみてそういえばそんなことがあったような、とうっすら思い出した。。)
計画停電は原発推進のプロパガンダである。

追記(2011/05/03)
昨日日付の読売新聞のある投書によると、夜間の電力需要が小さいときに節電しても、電気はためておけないから昼間に補充出来ないらしい。本当だとしたら、夜間にいたずらに照明を控えるのは「無駄な節電」ということでは・・・。

追記(2011/05/31)
いくつかの文献を読むところ、節電プロパガンダの意図はやはり国民への恫喝と捉えていいだろう。乗せられないように、気をつけましょう。

米電力大手NRGエナジー 原発プロジェクト撤退表明

(この記事は2011/04/22に書かれました)

今日も原発備忘録。(こんな備忘録シリーズって、、、)
標題のニュース、以下4月21日付け読売新聞より概要要約。

米電力大手NRGエナジーは4月19日、東芝・東電・米国で進めてきた原発増設計画への
追加投資打ち切りの発表をした。具体的には、NRGと東芝の合弁会社による、テキサス州
「サウス・テキサス・プロジェクト(STP)原発」への増設計画をNRGが断念する決断をした、ということ。が、NRGエナジー側は別の投資家が見つかれば再開する可能性は「もちろんある」としている。

福島原発の事故を受けて、アメリカや欧州では原発建設計画を見直す動きが広がっている。
そんな中、「ベトナムやトルコなど新興国では電力需要を背景に原発推進の機運が強く」、
東芝、日立製作所、三菱重工業など原子力事業に力を入れるメーカーは「今後も原発輸出を
強化する方針」ということらしい。

なんだ、まだ原発でメシを喰う気満々なんだね、あのヒトたちは。
ついでに先ほどのNRGエナジーCEO、未だに温室効果ガスの削減に原発は不可欠だ、などとのたまっている。賢い皆さんは、もちろんこんな戯言に惑わされたりしませんよね?


日本は海を取り戻せるか

 (この記事は2011/04/06に書かれました)

日本は、どこへ向おうとしているのか。そうせざるを得なかったのだとしても。海は、日本だけのものではない。これが「二酸化炭素を排出しない、環境にやさしいエネルギー」の正体なのである。よく覚えておこう。

あまりこういう記事ばかり書いていると精神衛生上よくないので多くは語らないが、以下の記事を是非紹介したい。

イタリア、ローマで脱原発のデモがあったとのこと。
http://romenavi.blog47.fc2.com/blog-entry-1469.html

以下、一部抜粋。
イタリアでは原発導入を決めてましたが、来年、国民投票で是非を問うことになりました。日本の国民がこれだけの被害を受けながら脱原発の運動が活発にならないのかと不思議だと。

また以下のようにも述べている。
受身だけでは、思考停止になってしまいます。正確な情報をご自身で調べ、ご自身の頭で考え判断するということが今、強く求められています。

激しく共感する。