2012年6月16日土曜日

千葉の水揚げで奇形魚


※YouTubeの動画にジャンプします。

このビデオによると。
2012年5月28日に千葉県の漁師の方による撮影。奇形の度合いが高いのは、海底の魚(ヒラメ、スズキ、カワハギ)食物連鎖の長(ブリ、マグロ、カツオなど)
昨年起きたこと、今続いていることを忘れてはいけないですね。

2012年5月18日金曜日

反節電!

今年も節電キャンペーンが始まった。

関西地方の15%削減という目標は、原発ゼロだとこんなに
節電しないといけなくて大変なんだと国民に刷り込むための、
浅はかな思惑が後ろにあるのは確か。

こんなナンセンスで浅はかなプロパガンダに惑わされてはいけませんよ。

2012年2月20日月曜日

原発稼働の住民投票、31万人署名提出

以下、読売新聞 2月20日(月)より。

東京都で原子力発電所稼働の是非を問う住民投票を目指している市民グループ「みんなで決めよう『原発』国民投票」は20日までに、計約31万7400人分の署名を都内の区市町村選挙管理委員会に提出した。

同グループは、都条例の制定を都知事に直接請求できる約21万4000人分(有権者の50分の1)は上回ったとしている。市長選の影響で署名期限が3月23日と24日にそれぞれ延びた府中、八王子両市などでは活動を続ける。

同グループは八王子市などの署名を4月3日に提出し、各区市町村選管はこの「本提出」を受けて署名の審査を始める。

2012年1月21日土曜日

原発可否国民投票

すっかり更新が滞ってしまっていたが、忘れた訳ではナイ。
12月に、原発可否国民投票の実現に向けた署名活動において署名してきた。
。。。でもねー、事務局の方から連絡があって、自分が都内に引っ越してきた
タイミング遅くて、選挙権がないから署名が無効なんだって。ショック、残念。

事務局の方には、何らかの形で協力していきたい、と伝えた。

2011年8月24日水曜日

アエラの「消された牛乳汚染」チラ読み

アエラの「消された牛乳汚染」記事を、立ち読み。
内容は想像通りで目新しいものでもない。汚染ありの牛乳でもそうでないものと混ぜて検査して「検出なし」としている、というもの。自分はしばらく前から大手製造の「おいしい牛乳」は買わないことにしている。どうせ、汚染牛乳が混ざってるんだろう。ヨーグルトも食べる気がしない。くそ、買うもんか。○治も森○も雪○も、どこも信用ならねぇ。(伏せ字の意味ないね、どうでもいいけど)
・・・いかん、つい口調が荒くなる。

こういうこと書くヒトもいるが。よりによって農水省ですか。
http://twitter.com/#!/hideoharada/status/105612892644196353

ここしばらくの汚染牛肉クローズアップは、乳牛汚染の問題から目をそらすためのプロパガンダだったのかな。食肉用が汚染されてて乳牛は大丈夫、なわけないよね。

2011年8月19日金曜日

クリエイティブであり続けるために

(この記事は2011/04/04に書かれました)

奥山清行という人がいる。時間がないので詳しいことは書かないが、若い頃からアメリカ、イタリア、ドイツなど海外で活躍してきたカーデザイナーで、フェラーリのデザインチームのチーフを努めたこともある。この人の著作「フェラーリと鉄瓶」(PHP文庫)はそんな彼のシンプルな哲学が詰まった本。その中に今俄然注目したい言葉がある。以下、第6章「クリエイティブであり続けるために」より一部抜粋。

飛行機でトラブルが発生すると酸素マスクが下りてきますが、欧米人はまず自分のマスクをつけてから、ほかの人に装着するのを手伝います。自分が気絶してしまったら、助けることさえできないからです。何も考えないでほかの人にマスクを一生懸命つけているうちに、自分は意識をなくしてしまう。これからの国際社会の中で、日本人はそういう目に遭いそうな気がしてなりません。

この文章を書いた時点で、彼は今現在の日本の現状など、予測もしていなかったはず。
しかしまさにいま日本では、この忠告(?)通りの事態が起きているとも言える。

過剰な自粛などしても誰も救えないし、自分自身の足下が揺らいでいたら人に手を差し伸べることもできない。今の日本で、被災地以外に身を置く人間がやるべきこと。それは上記の言葉がそのまま当てはまる。

私たちは今これから、どんな日本をつくっていけるだろうか。「何も考えないでほかの人にマスクを一生懸命つけているうちに、自分は意識をなくす」ことなく、別の未来をつくりだせるか。

ともあれ、「フェラーリと鉄瓶」はすごく面白くてかっこいい本です。読むと元気が出ると思うので、読んでみてください。

2011年8月14日日曜日

風評被害の意味について今一度確認する

(この記事は2011/05/03に書かれました)

福島第一原発の事故による放射性物質漏れにともない、当然のことながら大気や土壌、海水で基準値以上の放射性物質が検出されるようになった。それにともない、「風評被害が拡大するおそれがある」「風評被害につながる」といった言葉がメディアにしつこく登場するようになった。個人的に、マスコミや世の中におけるそのような動きには違和感を覚えている。以下は、私の個人的「風評被害」定義である。

知っている人、覚えている人がどれだけいるか知らないが、十数年前、O157(オー157)という病原性大腸菌が猛威をふるった時期があった。この時、カイワレ大根が怪しいと噂が流れたが、実際には事実無根のデマであった。つまり、カイワレ大根からO157菌が検出されたという事実はなかったのだ。しかしカイワレ大根農家の方々はいわれのないデマのために多大な被害を被った。おそらく、経済的にも精神的にも。これが「風評被害」である。

そして今回の、原発事故による放射性物質汚染問題は。
福島県や関東のいくつかの地域の農産物から、放射性物質が検出されたという、「事実」がある。たとえその量が、「食べたとしても健康にただちに影響はない」レベルだったとしても、本来なら付着しているはずのないもの、付着しているべきでないものが、付着しているのである。であれば、出荷規制は当然のこと。何故なら、これはデマではなく事実なのだから。つまり、風評ではなく実害なのである。よって、周辺の生産者は風評の被害者ではなく実害の被害者である。政府は「風評被害」という言葉を国民にすり込むことにより、それがもともとは「実害」であるという事実をすり替えようとしているのではないか。

ちなみに、その周辺で採れた野菜についても「汚染の恐れがある」という疑いがあるのなら、規制の対象にするべきである、と自分は考える。何故なら、その「疑い」は根拠のないものではなく、事実に基づいたものだから。放射能物質が検出されていない生産物について「福島県産だから」という理由で敬遠されるとしたら、それは風評といえるかもしれない。しかし今この現状でその風評を払拭するためには、生産者や販売業者は「安心である」という具体的な根拠を示す必要がある。

嫌みな優等生的な発言かもしれないが、正確で適正なモニタリングとオープンな情報開示こそが、被災地の農業と生産者を本当の意味で守ることになる。「風評被害に苦しむ農家」の姿を情緒的に伝える報道に流されず、本質的に大切なことを見極めなければいけない。場当たり的な同情心で商品を購入しても、意味がない。

我々が安全であるという根拠が示されていない商品を選択しなかったらからといって、「風評加害者」になるわけではない。消費者が正確な情報を得た上で納得できる商品を選ぶことこそ健全な消費活動であり、もともとあるべき姿である。そのことは「風評被害を広げる」こととイコールではないはずだ。