2011年8月14日日曜日

風評被害の意味について今一度確認する

(この記事は2011/05/03に書かれました)

福島第一原発の事故による放射性物質漏れにともない、当然のことながら大気や土壌、海水で基準値以上の放射性物質が検出されるようになった。それにともない、「風評被害が拡大するおそれがある」「風評被害につながる」といった言葉がメディアにしつこく登場するようになった。個人的に、マスコミや世の中におけるそのような動きには違和感を覚えている。以下は、私の個人的「風評被害」定義である。

知っている人、覚えている人がどれだけいるか知らないが、十数年前、O157(オー157)という病原性大腸菌が猛威をふるった時期があった。この時、カイワレ大根が怪しいと噂が流れたが、実際には事実無根のデマであった。つまり、カイワレ大根からO157菌が検出されたという事実はなかったのだ。しかしカイワレ大根農家の方々はいわれのないデマのために多大な被害を被った。おそらく、経済的にも精神的にも。これが「風評被害」である。

そして今回の、原発事故による放射性物質汚染問題は。
福島県や関東のいくつかの地域の農産物から、放射性物質が検出されたという、「事実」がある。たとえその量が、「食べたとしても健康にただちに影響はない」レベルだったとしても、本来なら付着しているはずのないもの、付着しているべきでないものが、付着しているのである。であれば、出荷規制は当然のこと。何故なら、これはデマではなく事実なのだから。つまり、風評ではなく実害なのである。よって、周辺の生産者は風評の被害者ではなく実害の被害者である。政府は「風評被害」という言葉を国民にすり込むことにより、それがもともとは「実害」であるという事実をすり替えようとしているのではないか。

ちなみに、その周辺で採れた野菜についても「汚染の恐れがある」という疑いがあるのなら、規制の対象にするべきである、と自分は考える。何故なら、その「疑い」は根拠のないものではなく、事実に基づいたものだから。放射能物質が検出されていない生産物について「福島県産だから」という理由で敬遠されるとしたら、それは風評といえるかもしれない。しかし今この現状でその風評を払拭するためには、生産者や販売業者は「安心である」という具体的な根拠を示す必要がある。

嫌みな優等生的な発言かもしれないが、正確で適正なモニタリングとオープンな情報開示こそが、被災地の農業と生産者を本当の意味で守ることになる。「風評被害に苦しむ農家」の姿を情緒的に伝える報道に流されず、本質的に大切なことを見極めなければいけない。場当たり的な同情心で商品を購入しても、意味がない。

我々が安全であるという根拠が示されていない商品を選択しなかったらからといって、「風評加害者」になるわけではない。消費者が正確な情報を得た上で納得できる商品を選ぶことこそ健全な消費活動であり、もともとあるべき姿である。そのことは「風評被害を広げる」こととイコールではないはずだ。