2011年8月14日日曜日

節電プロパガンダが意図するもの

 (この記事は2011/04/27に書かれました)

節電、節電とこれだけ言われ続けたら、いい加減イヤにならないか。イヤになる自分はいけない(被災地の人はもっと苦しんでいるのに)、とうなだれる必要はない。そもそも使いすぎなど、はなからしていない。寒かったら暖房をつけるのは当たり前だ。部屋があったまったら、消している。それで何か問題が?

福島原発の事故によってどれだけ電力が不足しているのか、そもそも本当にあの事故のために不足しているのは本当なのか、真実は闇の中である。日本人は素直すぎるから、「原発で事故がおきた→電力が不足している→節電しないといけない」と、例によって思考停止状態のまま流される。

丁度今から2年前の、豚インフルエンザのときだってそうだった。
覚えている人がどれだけいるか分からないが、あの時期、ちょっと咳でもしようものなら
周りからドン引きされる勢いだった。(ただの風邪だったのだが、、、しょうがないので、
いちいちトイレに行って鼻をかんでいた)。あんなのは異常である。もし成田空港でクシャミでもしたら、速攻で拉致されていただろう。いや、マジで。

自分は、あの頃の豚インフル過剰反応は、リーマンショック後の最悪ともいえる経済不況から国民の目からそらすために日本政府が仕掛けたプロパガンダによるものであったと確信している。そして今思う。今回の節電プロパガンダの目的は、何であろうかと。例えば穿った見方をすれば、「原発の稼働が一ヶ所で止まっただけで、あなた達はこんなに
電力不足に苦しむんですよ、こんなに節電しないといけないんですよ」とすり込ませようと
しているともとれるが・・・


話が長くなるので詳細は省いておくが、自分は常日頃から「環境問題は環境問題ではなく、
政治と経済の問題である」という考えを持っている。例えば地球温暖化問題は、国際政治・経済の場において重要な駆け引きの道具のひとつにすぎない、という認識である。世界各国の要人達は、別に地球を守るために会議をしている訳ではないのである。

そして話は小さくなるが、今回の節電キャンペーン。今電機店に行けば、様々な「節電商品」と銘打ったPOPが目に飛び込んでくるだろう。少し前までは「エコ家電」だったはず。このように、政治におけるプロパガンダはさりげなく国民の日常生活に染み渡り、それが意図するものが何であるか、など考えさせようともしない。

常識の範囲内で節電することは結構だが、銀座の街から明かりが消えて真っ暗になり夜だれも歩く人がいない、という状況は異常だったと思うし、そんな状況をこのままずっと続けていいわけがない。こういうことを書くと「被災地で大変な思いをしている人のことを思え」などという声が聞こえてきそうだが、今回被災者とならなかった人間が普通に生活することは、大切なことである。


一歩引いて、この大節電キャンペーンの意図を、想像してみよう。
日本国民が節電に走ることによって、誰が特をするのか、考えてみよう。節電キャンペーンの一方で、日本政府及び東電はロシアの液化天然ガス(LNG)利用による電力確保に着々と動いている。しばらくして電力の安定供給が見込めるようになった後、節電プロパガンダはどうなるだろうか。キャンペーンが終了したら、日本国民は「節電、節電」とさんざん騒いでいたのを、またきれいさっぱり忘れるのだろうか。

追記(2011/05/07)
2003年の夏、東京電力の原発が全て停止されたにも関らず、停電は起きなかったという事実があった!(言われてみてそういえばそんなことがあったような、とうっすら思い出した。。)
計画停電は原発推進のプロパガンダである。

追記(2011/05/03)
昨日日付の読売新聞のある投書によると、夜間の電力需要が小さいときに節電しても、電気はためておけないから昼間に補充出来ないらしい。本当だとしたら、夜間にいたずらに照明を控えるのは「無駄な節電」ということでは・・・。

追記(2011/05/31)
いくつかの文献を読むところ、節電プロパガンダの意図はやはり国民への恫喝と捉えていいだろう。乗せられないように、気をつけましょう。